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大連・旅順歴史散歩の旅

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こんにちわ。もと海外旅行添乗員&公立高校の英語教諭で、現在は英語を使う仕事で生活をしているゆういち(@lifeasaguide93)です。

 

最近、こつこつと過去の海外添乗の想い出をブログ化しており世界史やら世界地理やらの復習をしていました。今回は大連・旅順の旅の想い出を記事化します。

 

1日目 新千歳~大連~旅順

午前、中国南方航空にて大連へ。大連到着後、旅順に向かいました。着後ホテルにチェックイン。

                            (旅順:営港大酒店泊)

2日目 旅順市内観光

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午前、まだ誰も来ていない旅順博物館へ。1918年3月に開館。ここは大谷光瑞が1902年から1914年の間、3次にわたって世界最大級の探検隊として集めたシルクロードコレクションを寄贈しました。特に新疆の高昌故城アスターナ古墳から出土したミイラをはじめ、陶磁器、それらを入れる木造のケースは見事でした。

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今回はすぐ隣にある溥儀が旅順で最後に居住していた現在の遼寧省博物館(古代遼寧省の発掘物を展示)も見学。1945年8月15日の終戦後、溥儀は日本への脱出を試みるも9月にソ連に捕まり中国側へ引き渡され裁判へ。その後、一般市民の庭師としてその一生を終えました。

 

次に向かいに建つ旧関東軍司令部へ。(満鉄線警備という目的で発足しましたが、その後1919年4月に独立した関東軍として編成され、ここに司令部を設置)その後、1928年には東三省の長であった張作霖爆殺事件や満州事変、1932年の満州国建国(1934年溥儀が皇帝に)、1937年の上海事変から日中前面戦争へと関東軍は深くからんでいきます。

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その後、バスで水師営会見所へ。1905年1月2日、乃木将軍とステッセル将軍が旅順開城規約に調印したところで歌にも謳われています。次に203高地(標高203m)へ。1年6ヵ月の戦期を(日露戦争)を通じて、「陸戦」と「海戦」が行われた、旅順の陸戦の主戦場でした。

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旅順港の背後に広がる山々にはロシアの無数の砲台、保塁が築かれ、これに対して乃木将軍の三個師団5万7船名が全軍突撃。3日でかたがつくと思われましたが、なんと5ヵ月後に最後の203高地が陥落して収束したと言われています。

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203高地を守るロシア軍3万3千人。ここは旅順港に停泊するロシア軍隊を山頂から砲撃することが最大の目的でした。最後の総攻撃は1904年11月27日に開始。日本軍は1万6千とも2万人とも言われる戦死者を出しながら203高地を占領。頂上にあった28センチ榴弾砲を運び込み、旅順に停泊するロシアの軍隊に砲撃。壊滅的な攻撃を与えました。

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その後、3月には奉天占領、5月の日本海海戦で日露戦争は勝利で終結しました。見学後、昼食レストランへ。刀削麺を楽しみました。

 

午後はまず高等法院へ。安重根の裁判がここで行われたことで知られています。1910年2月12日、安重根は法廷で意見陳述をしたことも記録にあり、日韓両国の条約不平等をはじめ裁判の不当を訴えたとあります。1916年3月26日獄中144日の後、最後の願いである「絹の韓服の正装」で絞首刑に処されました。ここは全て当時のままで保存してあり、2階の裁判室もそのままでした。

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その後、バスで旅順監獄旧址へ。1896年(明治29年)3月にロシアが最初に建設し、日ロ戦争後に日本が接収して使用、増築。1910年安重根が収監されていたことで知られています。

 

その後白玉山へ。2人乗りのリフトで標高175mの白玉山山頂へ。ここには日露戦争後、日本が建てた65.4mの「表忠塔」がそびえます。表忠塔は日露戦争の戦死者を悼むため乃木大将らの提案で建てられたものです。

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見学後、旅順駅へ。旅順駅はロシアによって1903年3月に建造されました。ロシア正教の教会もイメージした木造の駅です。1909年11月3日に安重根が裁判を受けるため、この駅に到着。(10月26日朝、ハルピン駅で伊藤博文(69歳)を暗殺)当時1万人の日本人がおり、2000人が一目犯人を見ようと駅におしかけました。

 

旅順駅を後にし、今は廃居になっている粛親王府旧址をバスの車窓から見学しました。(ここは川島芳子、溥儀も住んでいたことで知られています。もともとは1900年からロシア人の個人所有の旅館でした。)その後,旧ヤマトホテルへ。

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ヤマトホテルは当時のまま残り、ここは夏目漱石が50日間満州・韓国旅行の際、1909年9月10日から2泊し203高地をはじめ旅順観光をし、1927年には川島芳子が蒙古の将軍の息子と結婚式を、(仲人は関東軍参謀長、齋藤恒)1931年にはラスト・エンペラー溥儀も宿泊した歴史に残るホテルです。

 

旅順は軍都でもあり、文教の街でもありました。大陸でも有数の学園都市として内地からも入学希望が絶えませんでした。その中でも1909年大陸開発に必要な技術者の育成を目的に創設され、1922年に大学としてスタートした旧旅順工科大学を見学。(もともとは1900年に建造されたロシア人の兵舎でした。)その後、旅順高等学校を見学してホテルへ。

                                  (旅順泊)

3日目 旅順~大連

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午前、ゆっくりとホテルを出発しホテル周辺の散策へ。当時の日本軍の住居をはじめ高級住宅街を約1時間散策。その後ホテルで小休憩し旅順の市場へ。めずらしいものがいろいろありました。

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f:id:life-as-a-guide:20210911023508j:plainその後、塔河湾近くのレストランで鍋ほ理の昼食を済ませ午後は港の青空市場を見学しました。その後、大連へ。大連では車窓から中山広場、広場に建つ1914年創業のヤマトホテルを見学、そして東京上野駅と同じ造りの大連駅も見学しました。

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その後、アジア号の特別見学です。(アジア号は満鉄が誇る看板列車。1935年には大連~ハルピン間を1日1往復していました。)見学後、旧ロシア人街を散策しホテルにチェックイン。

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小休憩後、希望者とレトロな路面電車に乗り買い物に出かけました。夕食は海鮮名物料理を楽しみました。

                          (大連:日航大連ホテル泊)

4日目 大連~新千歳

早朝ホテルを出発し空港へ。中国南方航空にて帰国の途へ。